夫さんを亡くしたあと、暮らしは一気に現実の厳しさに包まれました。
悲しみと同じくらい、「これから、どうやって生きていけばいいのだろう」という不安が、毎日のように押し寄せてきたのです。
今日は、あの頃の私がどんな気持ちで団地の中で引っ越しを決めたのか、そして新しい部屋でどんな思いを抱いたのかを、少し振り返ってみようと思います。
夫さんを亡くしたあとの生活
わずかな生命保険金が入ったことで、それまで受けていた生活保護は打ち切りになりました。
「助かった」と思う暇もなく、その瞬間から家計は一気に重くのしかかってきます。
生活保護がなくなるということは、家賃をすべて自分で払わなければならないということ。
当時住んでいたのはURのブレイス住宅で、近隣相場よりは少し安かったものの、私の収入ではとても追いつきません。
家賃を払うために貯金を削る日々。
「あと何か月、これで暮らせるのだろう」
夜中に電卓を叩きながら、胸がざわついて眠れないこともありました。
「借り上げ市営住宅」という選択肢
そんなとき思い出したのが、市のホームページで見た「借り上げ市営住宅」という制度です。
URの部屋を市が借り上げ、条件を満たす人に低家賃で貸してくれる仕組み。
夫さんがまだ元気だったころから、「いざというときに頼れるかもしれない」と心に留めていました。
だからこそ生活保護が打ち切られたとき、迷わず応募に踏み切ることができたのだと思います。
抽選に挑み続けて
抽選は年に3回。
当選者の番号は、市のホームページにも一覧で掲載されます。
1秒でも早く確認したくて、その時間が近づくと、胸がどきどきして落ち着きませんでした。
画面を開いては、自分の番号を探して——見つからない。
再読み込みしても、やっぱり無い。
そんな確認を繰り返すうちに、指先まで冷たくなっていきました。
1回目、2回目と落選が続いたとき、正直、心が折れそうになりました。
年3回しかチャンスがない――
4ヵ月というスパンはかなり長く感じざるを得ませんでした。
数日後にはポストに「落選」のハガキが届きます。
それを引き出しにしまいながら、「3枚集めると次は1回分多く抽選してもらえるんだったな」と頭をよぎります。
けれど、「そんなところで頑張りたくない」と、切ない気持ちで引き出しを閉めました。
夜になると、ふと夫さんのことを思い出します。
もし彼がいたら、なんて言っただろう。
「もう一回やってみようよ」——きっと、そんなふうに笑って背中を押してくれたと思います。
その想像に励まされて、私は三度目の応募書類を準備しました。
当選の瞬間
そして迎えた3回目。
市のホームページに並んだ数字の中に、自分の番号を見つけました。
一瞬、目を疑って「え、本当に?」「間違いじゃない?」と何度も画面を見直しました。
心臓が大きく脈打って、部屋の中をぐるぐると落ち着きなく歩き回るほどでした。
後日届いた「当選通知」のハガキを手に取ったとき、ようやく実感がわいてきて、胸の奥の石がすっと溶けるような気持ちになりました。
「これで、なんとか暮らしていける」
その安堵で、全身の力が抜けたのを今でも覚えています。
そして、「これは絶対夫さんが当ててくれたんだ」と確信し、感謝しました。
引っ越しの日に
新しい部屋は、同じ団地内の借り上げ市営住宅。
間取りもほとんど変わらず、家具や家電もそのまま使えたので、大きな負担はありませんでした。
けれど、段ボールを開けるたびに夫さんの痕跡に触れることになります。
お気に入りのマグカップ。何度も洗って柔らかくなった毛布。
そのたびに胸がぎゅっと締めつけられ、涙がこぼれました。
それでも、以前のように「家賃のために貯金を削る」という不安から解放されたのは大きくて。
少しずつ「ここからまたやり直せるかもしれない」と思えるようになっていきました。
今の気持ち
今回の引っ越しは、望んでのことではありませんでした。
けれど「生活を守るために下した決断」でもありました。
窓から見える景色は少し変わったけれど、間取りや家具はほとんど同じ。
だからこそ、夫さんと過ごした日々のぬくもりを感じながら暮らすことができています。
もしこの文章を読んでくださっている方の中に、同じように「生活のための選択」に悩んでいる方がいたら……
どうかひとりで抱え込まないでください。
小さな一歩でも、きっと次につながっていきます。
まとめ
団地の中での引っ越しは、私にとって大きな転機でした。
落選の日々も、諦めずに挑戦したからこそ、今の暮らしにつながっています。
そして、どんなに環境が変わっても、夫さんとの思い出は部屋の中に静かに息づいています。
これからもこの場所で、ひとつひとつ日々を重ねていこうと思います。


