団地という選択①:夫さんと選んだエレベーター付きのUR機構の暮らし

団地の暮らし

階段の上り下りが難しくなってきた夫さんと、苦心してたどり着いたURの11階建て団地。

脳挫傷と肺の難病を抱えながらも、エレベーター付きのこの住まいで共に過ごした日々には、静かな幸せがありました。

この記事では、困難の中で選んだ「住まいの決断」と、そこに込めた夫婦の想いを綴っています。

転落事故、そして肺の難病

「いつか階段が登れなくなる日が来るかもしれないね。」

夫さんがそうつぶやいたのは、まだ彼が穏やかな表情を見せていた頃のことでした。

その言葉には、重い予感が込められていました。

彼は、「特発性間質性肺炎」という肺の難病を患っていました。

そしてその前には、現場仕事中での転落事故によって「脳挫傷」を負っていたのです。

脳挫傷と長いリハビリ生活

転落事故のとき、夫さんは大きな衝撃を受けました。

幸い、手術は不要でしたが、脳には損傷が残り、身体のバランス感覚や体力が著しく低下しました。

話すことや歩くことはできる状態だったものの、

日常生活を送るには約1年間のリハビリが必要となりました。

その時、医師からははっきりとこう言われました。

「もう車の運転はできません。仕事に復帰するのは難しいと思います。」

それは、働くことが人生の中心で、車の運転が大好きだった夫さんにとって、受け入れがたい現実でした。

生活保護という現実的な選択

私自身も持病を抱え、働ける状態ではありませんでした。

夫婦ふたり、頼れる親族もいない中、生活はどんどん厳しくなっていきました。

そんなとき、福祉のケースワーカーの方がこう話してくれました。

「無理に頑張らなくてもいい。今は生活保護という選択肢がありますよ。」

最初は抵抗がありましたが、それは“楽をするため”ではなく、“暮らしを立て直すため”の制度。

私たちは、その言葉に救われるようにして、制度の利用を決めました。

やっと落ち着いた矢先に…新たな病気

夫さんのリハビリがようやく終わり、少しずつ平穏な日々を取り戻しつつあった頃、

またしても、夫さんの体に異変が現れました。

息が切れる。体が重い。咳が長引く。

呼吸器内科で検査を受けた結果、告げられたのが「特発性関節性肺炎」という診断でした。

この病気は治す方法がなく、進行すれば5年〜10年ほどで命に関わる可能性もあると、医師から説明を受けました。

その言葉を聞いたとき、私はまた地面が崩れるような思いがしました。

エレベーターのない暮らしの限界

病状が進行するにつれて、夫にとって「階段の上り下り」が大きな負担となっていきました。

当時住んでいたのは、2階建てのアパート。エレベーターなどありません。

小さな段差でも息が切れ、少しの外出も命がけのような日々。

ある日、夫さんがつぶやいた言葉が胸に残っています。

「このままじゃ、外にも出られなくなってしまうね。」

その言葉を聞いたとき、私は強く思いました。

「このままではだめだ。今、住まいを変えなければ」

URの団地との出会い

生活保護の支給には家賃の上限があり、住み替えにも制限があります。

そんな中、福祉課に相談し、URの店舗へ出向き、なんとか職員の方が紹介してくれたのが、URの11階建て団地でした。

エレベーター付き。敷地も広く、周囲は静か。

けれど家賃の関係で、選べるのは「ブレイス物件」と呼ばれる、鉄筋補強が施されたお部屋だけでした。

外観の印象には少し戸惑いもありましたが、

それよりも「夫さんが階段を使わずに生活できる」ことが、何より大切でした。

団地暮らしのはじまり

引っ越し後、団地での暮らしは、思った以上に穏やかなものでした。

広々とした敷地には緑が多く、木々の間を通る風はどこか懐かしさを運んできました。

中庭にはベンチがあり、小さな子どもたちの声が響いていて、

人の気配と静けさがちょうどよく調和している場所でした。

夫さんもすぐに馴染み、「ここなら安心して暮らせる」と穏やかに微笑んでくれました。

エレベーターのおかげで、彼は外へ出ることもできるようになり、

団地内のベンチで日向ぼっこをしたり、私とゆっくり散歩をするのが日課になっていきました。

そして、夫の旅立ち

しかし、そんな日々にも終わりが訪れました。

夫さんはある日の真夜中、入院先の病院で、私と会うことも許されないまま旅立っていきました。

一睡もできずに過ごした朝、団地の窓から見える空は、青く澄み切っていて、私はただ涙を流すしかありませんでした。

「この団地で、夫さんと一緒に暮らせてよかった。」

そう思えることが、私にとっての救いでした。

今、同じ団地でひとり暮らす

現在、私は同じ団地内の別の棟の部屋に住んでいます。

間取りもほとんど同じで、家具の配置も以前のまま。

まるで、今でも夫さんがここにいるような感覚になります。

かけがえのない場所へ

エレベーター付きの団地。

それは、ただの建物ではありませんでした。

夫さんが安心して生きるために、そして私たちが“ふたりで過ごす”ために選んだ、かけがえのない居場所。

今では、私がひとりで“生き続ける”ための場所になりました。

次回は、団地内で別の部屋に移った経緯や、今のひとり暮らしについて綴ってみたいと思います。

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